威厳の喪失

 思索は、形式に関する威厳をすべて失ってしまった。思索するさいの儀式的なものや荘重な態度ふるまいを、ひとは笑い物にし、たとえ古風な賢者がいたとしても、もはや我慢できなくなっている。われわれ現代人はあまりにそそくさと考え、道の途中で、歩いている最中に、あらゆる種類の仕事の最中に考える。どんなに真剣なことを考えるときもそうである。支度はほとんど必要なく、静けさすらほとんど必要ない。ーーあたかも、休みなく回転する一個の機会をわれわれは頭の中に持ち歩いていて、どんな不都合な場合でもその機会はせわしなく働いているかのようである。かつては、誰かがものを考えようとするさいにはーーそれはきっと例外だったのだーー、その様子が見てとれたものだし、この人は今や賢くなろうとして、あるしそうに精魂傾けようとしていることが見てとれたものである。祈るためでもあるかのように、考えるために顔を引きしめ、何時間も路上でじっと立ち尽くしていた。そうしたふるまいこそ「当の事象にふさわしい威厳ある態度」だったのだ。