徳への喜び

「徳を探し求める道はでこぼこだらけで、しんどいけれど、徳にあずかることは心地いいのです」などと、しきりに教える人がいるが、それは「徳はつねに不快である」といっているだけではないのか? そもそも、人間のいかなる手だてが、かつて徳を享受することにまで達しえたというのか? もっとも完璧に近い人々でさえ、徳を所有することはかなわず、それを希求し、それに近づくことで満足してきたのだ。でも、そういったところで彼らはまちがっている。ーーわれわれが知っている喜びは、どれも、それを追求すること自体が喜ばしいものなのだから。なにかをくわだてることのうちには、それがめざすものの性質がただよっている。くわだてることが、実現することのかなりの部分を占め、それと同質のものとなっているからにほかならない。燦然と輝く徳の、幸福や至福は、その最初の入り口から、最後の関門にいたるまで、その付属の建物や通りのすべてに満ちあふれているのだ。

モンテーニュ『エセー』(宮下志朗訳)